吉川晃司の若い頃まとめ。30歳頃から白髪。水球選手で筋肉が凄い。

ミュージシャンとしても歌手としても幅広く活動している吉川晃司さんの若い頃の画像や様々な伝説を詳しくご紹介します。

目次

吉川晃司の生まれは広島県で父親は被爆者

まずは吉川晃司さんの地元や家族について見ていきましょう。

吉川晃司さんの地元は、広島県安芸郡府中町です。

吉川晃司さんの父親の地元は広島県の中心部だったそうです。

4人家族で、お姉さんがいます。

吉川晃司さんの父親は、広島市の中心部の繁華街、中島地区で料亭や旅館を営む一家に生まれました。

吉川晃司さんのお父さんは若い頃、俳優を目指していたこともあったのだとか。

板前やタクシー運転手などの仕事をしていたそうです。

そして吉川晃司さんのお父さんについて興味深い情報が見付かりました。

日本のみならず世界中からたくさんの観光客が原爆ドームや広島平和記念公園に足を運んでいるが、実は意外な人物がこの場所にとても深い縁をもっている。

その人物とは吉川晃司。そんな彼とこの場所の縁とはいったいなんなのか? 6日深夜に放送された『NNNドキュメント 4400人が暮らした町~吉川晃司の原点・ヒロシマ平和公園~』(日本テレビ)でその秘密が明かされ話題となっている。

原爆と吉川晃司さんの父親に深いつながりがあるのだそうです。

吉川晃司の祖父は、この中島地区の端、現在は原爆ドームとして知られる広島県産業奨励館の川を挟んだ斜め向かいで「吉川旅館」という割烹旅館を営んでいた。

彼の父親もここで生まれ育ち8歳まで暮らしている。

原爆投下より以前に旅館を別の人に譲り渡して疎開していたので吉川家は原爆の直撃を受けることは逃れたが、彼の父は原爆投下直後に疎開先から広島に帰っているため、そこで被曝した。

吉川晃司さんの父親は原爆の被爆者だったそうです。

そのことを知っている吉川晃司さんは番組で「核兵器禁止条約」を拒否する安倍政権を強く非難していました。

「父親たちが疎開をしてなかったら私はここに当然生まれてないわけですよ。この距離だから、影も形もないわけでしょう」

広島で生まれ育ち、祖父や父が暮らしていた場所が原爆の被害を受けたとなれば、核兵器禁止条約を拒否した安倍晋三さんに怒りが出るのも当然です。

吉川晃司は千葉真一の大ファンでテレビでの活躍に憧れていた

幼少期の吉川晃司さんは俳優「千葉真一さん」の大ファンで彼らのテレビでの活躍ぶりにいつも憧れていました。

元々は俳優さんの大ファンだったそうです。

お父さんも若い頃、俳優を目指していたということもありますし、そのDNAが吉川晃司さんにも受け継がれていたのかもしれません。

吉川晃司は制服がカッコいい理由で修道院中学校に入学するが悪さできず一瞬で嫌になる

吉川晃司さんは中学受験されていますが、その理由が

「制服の袖の部分に2本線がはいっておりそれがかっこよかったから!」

という理由で受験したのだそうです。

若い頃からオシャレや目立つことが好きなタイプだったことが分かりますね。

そんな広島の中高一貫の進学校修道中学に見事合格し進学することになりましたが、

入学してすぐにこの特徴ある制服のせいで悪さなどするとすぐに「修道院中学校の生徒だ!」とわかってしまうので

一瞬でこの学校に通うことが嫌になったというエピソードがあります。

また、勉強も得意な方ではなかったため授業に付いていくのも大変だったのだとか。

吉川晃司が若い頃から下半身は細めだが上半身の筋肉が凄いのは水球選手だったため(全日本高校最優秀選手)

そんな吉川晃司さんですが、1つだけ頑張っていたことがあるのだそうです。

部活動で、水球の選手として活躍していました。

同高校に入学した時にはなんと世界ジュニア水球選手権大会の日本代表選手にまでえらばれるほどの腕前の持ち主にまでなりました。

勉強が出来なかったという吉川晃司さんですが、他に得意な分野を見付けて活躍していました。

その後も水球選手として活躍は続き、2年連続全日本高校最優秀選手に選ばれ、最年少日本代表選手としてエジプト遠征にも参加したという実績まで!!

すごいですよね。

元水球選手だったためか現在でも鍛え上げられた肉体をお持ちです。

体作りのために様々な努力をしているそうです。

吉川晃司は同じ水泳部の友人に誘われロックバンドグループに加入

水球選手として活躍していた吉川晃司さんは同じ水泳部だった友人に誘われてロックバンドグループに加入しました。

幼少期から芸能界に憧れていた吉川晃司さんはバンドに加入したことで、その思いが更に強くなったようです。

このロックバンドに加入したことが吉川晃司さんの人生の転機だったのかもしれません。

吉川晃司はスカウトされるために手紙を送り芸能プロダクション「ナベプロ」に入る

バンド活動をしている中で佐野元春さんのコンサートをみにいき、

その音楽のすばらしさからカルチャーショックを受けた吉川晃司さんは「音楽界のビックスターになるぞ!」と決め、

どうにか芸能プロダクションに入ろうと思い、そのためにはスカウトをされたい!と考えましたが、

当時住んでいた広島ではきっとスカウトなんてこないだろうと考えた吉川晃司さんは、

なっなっなんと!!自ら「広島にはすごいやつがいる!見に来ないと一生悔いを残すことになりますよ!」

と芸能プロダクションに手紙を送りつけました。

自ら芸能プロダクションに手紙を送ったそうなのですが、その芸能プロダクションというのが「ナベプロ」でした。

当時人気だった沢田研二さんなどが所属していたことから、ナベプロに入る!と決めたそうです。

そして本当にナベプロの関係者が会いに来てくれたのだそう。

その後数回のオーディションを経て見事ナベプロ入りをはたしました。

念願のナベプロに入り、芸能界デビューが決まりました。

吉川晃司は慶応義塾大学に特待生として入学が決まっていたが芸能界入りのため高校2年生で中退

自らの売り込みと努力で見事、芸能界入りを果たした吉川晃司さんですが、デビューには苦労をしたそうで

高校の水球でめちゃくちゃ活躍し有名になっていた吉川晃司さんは

慶応義塾大学に特待生として入学が決まっていたので、当然親も教師も周りも大反対!!

芸能界入りには周りの反対をかなり受けたのだそうです。

あまりに真剣な吉川さんにとうとう折れて芸能界にはいるのは高校卒業してからだという約束でしたが

今すぐにでも芸能界に入りたかった吉川さんは3年生に上がる前に中退して上京しました。

ナベプロ側も「10年に1度の逸材」とし、社長自らも音頭にたってデビューするための

プロジェクトチームを作るなどすごく力をいれていました。

吉川晃司さんはデビュー前から期待の新人だったみたいです。

自ら芸能プロダクションに手紙を送るといった行動力は素晴らしいですよね。

吉川晃司のデビュー曲「モニカ」がヒット、8つの新人賞を独占、1984年に日本歌謡曲大賞最優秀賞を受賞など

吉川晃司さんのデビュー曲があの有名な楽曲「モニカ」です。

映画の主題歌にもなったこの曲はヒットにヒットを重ねつねにオリコン上位にありました。

デビュー初回からヒットしたため一機に吉川晃司さんの名前は知れ渡りだす曲だす曲ヒットし、

1984年には日本歌謡曲大賞最優秀賞などを受賞しました。

10年に1人の逸材と見抜いた事務所の関係者の方は凄いですね。

実際に吉川晃司さんはデビュー曲「モニカ」がかなりヒットし、一流芸能人の仲間入りを果たしました。

「モニカ」は本当にヒット曲ですが、吉川晃司さんがここまで有名になるのであれば水球の道ではなく歌手をめざした理由も納得できますね。

水球でも歌手でも有名になる運命だったのでしょうね。

吉川晃司は歌手デビュー後に同時進行で俳優業も実施、映画「すかぴいウォーク」でデビュー

音楽で有名になりたいと思い、ナベプロに入った吉川晃司さんですが事務所側は俳優やバラエティタレントとしても吉川晃司さんを売り込んでいました。

そのため、吉川晃司さんは歌手デビュー後から同時進行で俳優業もこなしています。

俳優としては「すかぴいウォーク」という映画でデビューしましたが、「漂流街」という映画に出演した時に、

独特のオーラと存在感がすごく好評価を得た作品となりました。

その当時の監督曰く、「存在感がすごすぎて気楽な役では使うのがもったいない。吉川さんは特別な役にもってこいです、彼はきっとスペシャルな血が流れているのだ!」と大絶賛でした。

もともと俳優の千葉真一さんに憧れていたこともあり、俳優としてもかなり才能を発揮しています。

吉川晃司さんは若い頃から容姿もイケメンですし、歌手としても俳優としても確かに素晴らしい逸材です。

吉川晃司の片手バク転が誕生したのはマイクを持っていたから

吉川晃司さんのライブパフォーマンスで有名なのが「片手バク転」です。

これは当初は狙ってやったものではなく、偶然生まれたものだったのだそうで、そのキッカケをインタビューでご本人が話しています。

「当時のアイドルってみんな小柄なのよ」

「で、みんなバク転するわけ」

「バク転ぐらい俺にもできるわ!」

そういった理由でライブでバク転を披露することを決めた吉川晃司さん。

歌番組に出演した際、何かパフォーマンスしたいと思ってた吉川さんは、とりあえず歌終わりにバク転をしよう!と決めたようです。

歌が終わり、さあバク転するぞ!ってなった時にあることに気づきました。

マイクを持ってたんです!

仕方ないので、マイクを持ったまま片手でバク転したところ、それが「片手バク転」として広まったようです。

それ以来、歌の終わりに「片手バク転」というのが定番になったのだそうです。

今でもおなじみのライブパフォーマンスなのだそう。

水球で鍛えられた体があったからこそ出来るパフォーマンスですね。

吉川晃司が路上で友人・尾崎豊と爆睡し女子高生から注意された

吉川晃司さんは若い頃、友人の尾崎豊さんとよく飲み歩いていたそうです。

その飲み方は豪快で、「気絶するまで飲んでいた」そうです。

そんなある日、いつものように明け方まで飲んでいたらバス停の横にゴミ捨て場があったらしいです。

「ゴミ袋のひんやりした感触が気持ちよかったんだろうね」

「酔っ払って尾崎とゴミ袋の上で寝てたんだよ」

人気芸能人の吉川晃司さんと尾崎豊さんがゴミ袋の上で寝ている光景は凄いですね。

気が付けば、朝の通勤時間になってたそうで、バスを待っていた女子高生が二人に向かって一言。

「カッコ悪いから起きたほうがいいですよ。」

この女子高生はきっと吉川晃司さんと尾崎豊さんであることを分かっていて注意してくれたのでしょうね。

若い頃の可愛らしいエピソードです。

吉川晃司が1985年、紅白初出演時にシャンパンを撒き散らしステージがびしょびしょに、現在NHK出入り禁止は解禁

1985年に初の紅白出演を果たした吉川晃司さんですが、そこで大事件が起こります。

吉川晃司さんは白組のトップバッターにも関わらず真っ赤な衣装で登場しました。

画像を見るとシャンパンのようなものを飲みながら出場しています。

シャンパンを撒き散らしながらの登場でステージもびしょびしょ。

当初、NHK側から「ギター、ベースの2人以外は、ステージに登場させないで欲しい」という指示があったようですが完全に無視。

もう一人のギター、キーボード2人も演奏の終盤でステージに登場させました。

更に、本来の出演時間をオーバーしたにもかかわらず、ギターに火をつけ、ステージに叩きつけて破壊するというパフォーマンスを行ったのです。

破天荒すぎますね。こんな紅白歌合戦とても見てみたいです。

吉川晃司さんのパフォーマンスは時間が過ぎても終わらず、次の出番だった河井奈保子さんが、ステージに出るタイミングがつかめず大混乱だったようです。

河合奈保子の次の出番のシブがき隊は、酒とギターを燃やしたオイルのおかげでツルツルの滑りやすいステージで歌うはめになり、、『スシ食いねェ!』の歌唱中に布川敏和が、2回も足を滑らせて転倒!

ここまですると見ている側はもう楽しいのではないでしょうか。

しかし、吉川晃司さんがこうした行動をしたのにはちゃんと理由があったのだそうです。

「当時は多くの賞が出来レースになっていて、プロダクションやレコード会社の政治力によって決まっていたり、事実を受け入れたくない、どうしたらいいんだろうといつも悶々としていた。紅白は抗議行動的な側面もあったが、あまりに稚拙だったと思う。」

と、当時の思いを語り反省されています。

当然NHKは出入り禁止となりましたが、2002年にドラマ「真夜中は別の顔」で主演に抜擢されました。

オファーが来たときは本人が一番びっくりしたのだそうです。

その後も大河ドラマなどに出演していますので「出入り禁止」は解禁されていることが分かります。

吉川晃司が1988年、布袋寅泰とバンド「COMPLEX」を結成

吉川晃司さんは布袋寅泰と「COMPLEX」を結成していました。

シングル「BE MY BABY」は現在でも多くの歌手やミュージシャンにカバーされたり、CMソングにもなっていますね。

1988年12月10日に結成されて、1990年11月8日に無期限活動休止(実質的解散)。

発表したシングル(1stシングル「BE MY BABY」、2nd「1990」)とアルバム(1stアルバム『COMPLEX』、2nd『ROMANTIC 1990』)は全てチャート1位を記録。

活動期間が僅か2年間だったのは驚きです。

1990年に実質解散した後も、2011年の東日本大震災のチャリティーコンサートで20数年ぶりに復活しています。

そして2019年の4月には「COMPLEX BEST」というアルバムの高音質リイシュー盤が発売されています。

もともとは同じマンションに住んでいて、夕飯のおかずを持ち寄ったり、2人きりでハワイ旅行へ出掛けたりするという、気持ち悪いほど仲が良かった吉川と布袋。

布袋寅泰さんとは元々かなり仲が良かったのだとか。

商業的成功を収めるためには、ヴォーカリストとしては未熟な布袋。アイドルからロックミュージシャンへ脱皮するためには、ソングライターとしてのスキルが足りない吉川。
双方、不足部分を補い合える関係ということもあり、最終的には飲み屋での「一緒にやろうか!」という一声で、COMPLEX誕生に至ったのです。

この判断が結果的に正しかったことは「BE MY BABY」などの代表曲を見れば分かります。

しかし、最終的にはレコーディングを重ねるうちに価値観の違いから不仲になっていってしまったのだそうです。

現在は和解しているといった情報もありました。

吉川晃司が1998年、個人事務所「アクセルミュージックエンターテイメント」を設立

吉川晃司さんは1998年に個人事務所を設立しています。

吉川は、所属していた事務所のアイドル的な売り出し方に嫌気がさし、22歳にして独立。

22歳で独立し、ロックアーティストとして飛躍したかったそうですがしばらくは事実上の休業期間に入っています。

その後すぐにCOMPLEXを結成し、成功するのですが独立したての頃は苦労もしたのだそうです。

「アクセルミュージックエンターテイメント」で検索してみると

吉川晃司自身が設立した個人所属事務所。芸能活動のプロデュースや音楽関連の出版を行う。また、ホームページ上では、スケジュールや活動内容などを紹介する他、グッズの販売も手がけている。

といった内容が出てきます。

吉川晃司に似ていると言われた元プロ野球選手の新庄剛志は、ファッションや髪型を真似ていた

若い頃吉川に似ていると言われた元プロ野球選手の新庄剛志は、吉川のファッションをよく真似ていた。

ファンの間でも、サングラスをしていたら身分けが付かないという声もあるようです。

画像で比べてみると若い頃の新庄剛志さんと吉川晃司さんは確かに似ています。

口元と輪郭が似ています。

吉川晃司の若い頃『Mステ』で広島のお好み焼きにマヨネーズは入れてはダメと猿岩石を説教

Mステで、広島風お好み焼きにマヨネーズをかけると話した当時の猿岩石に 「マヨネーズの味が強すぎて、本来の味が台無しになる」と、生放送中に説教した

という情報がありました。

広島出身の吉川晃司さんならではの情報ですね。

余談ですが、もともと「お好み焼き」というのは広島のお好み焼きを指すのだそうです。

お好み焼きの発祥は広島であり、関西では無いのだとか。

吉川晃司は30歳頃の若い頃から白髪、染めていたが40歳あたりから徐々に見せるように

吉川晃司さんと言えば、白髪のイメージが強いですが若い頃の画像を見るとキレイな黒髪です。

「髪だって元が白いんだけど、黒くしてたんだよ。
元がコレなの実は。今まで隠してた…っつか塗ってたの。地が白いのよ。
ファンはさ、老けたとかさ、爺臭いからやめろとかもう散々言うわけよ。言ったら言う程やめないからね!!俺は」

吉川晃司さん曰く、若い頃は髪を黒く染めていたそうです。

若い頃から白髪だったようですね。

今の吉川晃司さんの白髪がかっこいい!という人も多いです。

吉川晃司さんは、元々髪の色が薄く染めているわけではないようです。

スタイリング剤とワックスであのツヤツヤと輝く銀色の髪色を出しているんだそうです。

地毛の色素がもともと薄いからか、黒髪よりも白髪の方が似合っている気がします。

吉川晃司の若い頃のイケメン画像やスリーサイズ・身長体重など

吉川晃司さんの身長ですが、現在は、181.5㎝ということです。この身長でも日本人男性の平均身長よりも10㎝以上高いことになりますが、吉川晃司さんの話によると以前は183㎝あったといいます。

芸能人の中でも高身長ですね。

吉川晃司さんは身長が高く、体と顔のバランスが非常に良いです。

吉川晃司さんの体重は70㎏ということです。身長と体重から見ると吉川晃司さんのBMIは21.2です。

日本の平均BMI値は22なので、吉川晃司さんの体重は、痩せているほうになります。

吉川晃司さんは30代で椎間板ヘルニアを患ってしまったそうなのですが、歩くことで筋肉を付けて痛みを減らしたそうです。

全盛期1983年頃、吉川晃司がよく着ていたブランド『グラスメンズ』は現在も存在している

この頃はDCブランドが大ブームとなっていて、吉川は『DOMON』や『グラスメンズ』といったブランドを好んで着ていた。

1983年頃はDCブランド全盛期だったそうで、グラスメンズというブランドは特に吉川晃司さんが愛用していたことで有名だったそうです。

Q.私は若い頃グラスメンズというブランドが好きで、丸井の赤いカードの分割払いで買ってました。

ビビットカラーが特徴で派手な感じのブランドでした。

吉川晃司さんがよく着てたのを覚えています。今はこのブランドはどこに行ったのでしょうか?

といった質問もありました。

A.私もラフォーレで良く買ってましたよ。同じく吉川晃司の影響です。
現在もブランドは存在しているようです。
ただし当時のような派手な色を使ってはいないようですよ。

現在もブランドは存在しているようです。

姉妹ブランドもあるそうです。

吉川晃司は若い頃より今の方がもっとカッコいいなどファンの声

吉川晃司さんは若い頃もイケメンで人気でしたが、今の方がかっこいいという声も多いです。

ちなみに筆者もそう思う1人です。

  • 昔は昔でかっこいいけど、今の方が好き
  • 若い頃よりかっこいいアーティスト
  • 白髪が渋くてかっこいい
  • 息子に吉川晃司のカッコよさを熱く語りすぎて興奮気味。眠れなくなりそう。おばちゃん若い頃ね、COMPLEX!大好きだった!歳を取っても超絶カッコよくてヤバいよねなんなの?
  • 吉川晃司若い頃より今の方がかっこよいな
  • 若い頃、吉川晃司って、バカにしてたケド、今カッコええノォ

吉川晃司さんはうまく年を重ねていますよね。

「枯れ専」女子にも吉川晃司さんは大人気です。

年を重ねると「劣化」や「老けた」という声が上がってしまうことが多い芸能人の中で、若い頃から更に渋みが増してかっこよくなった吉川晃司さんは貴重な存在です!

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